公益財団法人 大原記念労働科学研究所
公益財団法人
大原記念労働科学研究所
The Ohara Memorial Institute for
Science of Labour

昭和100年と労働科学

 今年は1925年に昭和が始まってから100年目にあたることから、昭和100年と称して現代史を回顧する企画や出版が相次いでいる。倉敷労働科学研究所として労働科学研究がスタートしたのは1921年であり、ほとんど昭和100年の歩みと重なっている。昭和100年は我々から見ると労働科学研究100年と言いたくなる。

 歴史を振り返る場合、何らかの時代区分を考えたくなる。我が国の近現代史について学問的な時代区分の定説は存在しないが、例えば昭和史研究家の保阪正康氏は「14年周期」説(たとえば昭和35年から49年までの高度経済成長の14年間など)を、作家の半藤一利氏は「40年周期」説(たとえば1905年の日露戦争勝利から1945年の敗戦までの40年間など)を唱えている。どちらも大変興味深いが、昭和100年の場合はどのような時代区分が適当だろうか?

 私は、①第二次世界大戦へと至るまでと戦中、敗戦までの20年、②戦後復興から高度経済成長を経てバブル崩壊に至るまでの50年、③バブル崩壊後から今日までのいわゆる「失われた30年」と呼ばれる時期、の三つに分類してはどうかと考えている。

 労働科学研究についても、①倉敷労研創設から東京に移転し、日本労働科学研究所となり、敗戦によって解散するまでの時期、②戦後財団法人労働科学研究所として再建され、数多くの研究成果をあげた黄金時代、③行政改革のため国庫補助金による労研への支援が見直され、厳しい財務事情の下で労働科学研究を続けてきた時期、に分けることができ、おおむね昭和100年の時代区分と対応している。

 2015年に川崎の土地・建物を処分して累積債務を一掃し、大原記念労働科学研究所と名称変更し、桜美林学園に研究拠点を提供していただいて、新生労研として再スタートを切ってから今年で10年。この10年は労働科学研究の歴史の中でどのように位置づけられるか?

 この10年を概観すると、他の時期と異なる最大の特徴はコロナパンデミックであった。スペイン風邪といわれた前回のパンデミックから100年後に到来したコロナパンデミックは世界の経済・社会に大きな爪痕を残し、人々の生活や働く現場にも大きな影響を及ぼした。労働科学研究所の運営も困難を極めた。この10年はwithコロナ、afterコロナの10年と言って過言ではないであろう。

 新生労研で掲げた大きなテーマの一つが産学協働であり、日本労働科学学会が2020年にスタートした。倉敷労研を創設した暉峻義等が1929年に産業衛生協議会を立ち上げ、これが後に日本産業衛生学会となるなど労働科学関連の学会は多数存在するが、労働科学を標榜する学会は100年の歴史の中で初めてであり、労働科学研究の裾野の拡大に重要な役割を担うこととなった。これからも日本労働科学学会の発展を支えていきたい。

 新生労研が掲げたもう一つのテーマは国際協力であったが、残念ながら十分な成果が上げられなかった。コロナパンデミックの発生が大きな支障になり、検討が進んでいた国際労働時間学会の日本大会もキャンセルされた。しかし、国際協力が進展しなかった最大の要因は所内の国際協力の担い手不足であり、体制整備は急務である。そうした中、2024年にはG7雇用労働担当大臣会合が100年前の倉敷労働科学研究所設立が呼び水となって倉敷の地で開催され、労働科学研究所もお手伝いさせていただいた。その機会に欧州委員会雇用・社会的権利担当委員のニコラス・シュミット氏が労研を訪問され、意見交換ができたことはささやかな前進であった。

 昭和100年の節目に当たり、10年間お世話になった桜美林大学千駄ヶ谷キャンパス、新宿キャンパスを離れ、8月から大塚の地に新事務所を構え新生労研は新たなステージを迎えた。時代の大きな転換点を迎え、世の中はどんどん変わっていくが、労働の現場はなお様々な問題を抱えている。労働科学研究の課題は尽きることがない。次の10年で労働科学研究にどのような新しいページを加えることができるか。新たなチャレンジに立ち向かっていきたい。(了)

(2025年10月 理事長 浜野潤)