公益財団法人 大原記念労働科学研究所
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The Ohara Memorial Institute for
Science of Labour

小田急電鉄株式会社(略称・小田急)車両火災を巡って

2017年9月10日夕刻、小田急で沿線火災が車両に延焼するという事故が発生した。火災現場に車両が緊急停止した8分間に燃え移ったという。小田急によると「消火活動をするため電車を止めて欲しい」と消防から現場で依頼された警察官が、現場近くの踏切にある非常停止ボタンを押した。これにより列車に自動ブレーキが掛かる仕組みが作動し「たまたま火災現場の目の前に止まった」。今回運転手は、白煙は確認したが火災とは思わず、非常停止ボタンが押されたため、安全確認のため電車を降りて初めて火災に気付いたという。運転手は手動で非常停止状態を解除し、運転指令に連絡して電車を動かす許可をとった。停止8分後、電車を動かし始めたが、現場にいた消防から車両への延焼を知らされ、120メートル前進した所で再び停車し乗客を避難させたという。

国交省によると「沿線火災への対応はルールが無く、列車が焼ける事態は想定もしていなかった」という。

さてそこで、本事例について、若干の考察を加えてみたい。まず「なぜ火災現場に車両を止めたままにしたか」という点だが、通常、運転手は運転指令の指揮下にあり、マニュアルでもこの事は明記され、非常時訓練でも運転手は運転指令に従う事やマニュアル遵守が強く教育されていると聞く。したがって、運転手が、まずは運転指令の指揮を仰いだ事は理解される。しかし、運転手からの音声だけに拠る情報では運転指令には現場の詳しい状況は分からないと思える。このやり取りの中で、8分という時間が費やされたに違いない。加えて、現場では運転手に、警察、消防、という別系統からの命令も発せられている。これでは、火災を認知してとっさの判断が求められた運転手は、時系列的にも、何を優先して車両操作を行ってよいか迷ってしまったであろう事は想像に難くない。しかしながら、ごく素直に考えた場合でも、なぜ運転手は、独自にまずは電車を延焼の危険が無い所まで退避させようとしなかったのかという疑問が残る。混乱の渦中にいた運転手に、結果論的に判断が適切でなかったというのはたやすい。だが、上述のような、素直な発想が何故出来なかったのかについては、以下のように考えてみたい。

マニュアル人間という言葉が使われて久しいが、会社という組織内で、日頃からマニュアル遵守を叫んでいるとすれば、マニュアルは常にあらゆる事態を想定して作られていなければならない。しかし、果たしてそのような事が可能であろうか。先の国交省の見解からしても、今回の事故は、全くの想定外であった事が分かる。振り返ってみれば、大半の事故は常に想定外の所で発生している。だとすれば、運転手の訓練の際にも、マニュアルを基本とすることは前提としても、マニュアルに書かれていない事態にも対処する必要があることを日頃から説いておかなければならない。マニュアルにがんじがらめになったヒトに、とっさの判断において柔軟な発想を求めることは酷であろう。思えば、ヒトとは、本来は極めて柔軟な思考や行動を求めるものであろう。そのようなヒトの特性をいわば「殺しておいて」事故原因をヒトに帰する事は否としたい。

幸いにも、今回の事故では負傷者は一人も出ていない。しかし、もし今回の事故で、何人もの死傷者などが出た場合には、おそらく、上述のような運転手の行動に原因を帰する論考が浮上して来るに違いない。小さな事故でも原因論をおろそかにせず、その事例から多くの教訓を学びたいものである。(前段の事実関係の記述は、2017年9月12日付朝日新聞朝刊に拠る。)

(2017年10月 理事、研究主幹 井上枝一郎)