財団法人労働科学研究所ホームページ出版労働の科学58巻2号

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58巻(2003年)
2号目次

表紙「花牛」 drawing by itaru itard

特 集:リスクコミュニケーションの実際

<俯瞰(ふかん)>企業と社会の対話について思うこと:林 雄二郎
北野 大:リスクコミュニケーションのあるべき姿
安井 至:市民のための環境コミュニケーション 〜化学物質のリスクをどのように伝えるか〜
杉浦 伸夫:企業内でのリスクコミュニケーション 〜JSRの事例〜
高戸 満:化学物質管理とコミュニケーション 〜日産自動車の事例〜
神山美智子:リスクコミュニケーションを活かすために

<ノクトビジョン> 鈴木 理恵:病院における夜間のセキュリティの現状と課題
<産業医学いまむかし(2)>野村 茂:医学と心理学と
<現場の産業保健ノート(9)> 堀江 正知:作業関連疾患の予防とプライバシーの確保
<AV/IT時代のヒューマンインターフェース(3)> 齋藤 真里:技術を発揮するさまざまな形とインターフェースの役割
<ILOの安全保健アジア地域技術協力(6)> 川上 剛:児童労働と安全衛生
<トピックス>佐藤 好子:「機内迷惑行為防止法」の必要性
<学会レポート>毛利 一平:環境疫学にどっぷりと浸った4日間 〜私もバンクーバーで考えた〜
<保護具なるほど博物誌(7)>田中 通洋:防じんマスクの巻(2)
<cinema>リストラ中の男と盲目の少女に訪れた輝く一瞬−−『至福のとき』(百瀬しのぶ)
<music> 太鼓を叩いてストレス解消だドン!(しかのあきこ)
<労働科学のページ>
「野蛮な横断的労働市場」の可能性―木下武男『日本人の賃金』の検討―(赤堀 正成)/女性による非雇用型在宅ワークの仕事と生活に関する実態調査(高橋 誠 ほか)/2つの異なるシャンプー台使用時の美容師の作業姿勢からみた作業負担の軽減効果(吉川 徹 ほか)/職業性のシックハウス症候群を呈した一例―職場環境を中心に―(吉田 俊明 ほか)
<books>新・雇用社会の法(野沢 浩)
<information and news>作業環境測定士指定講習会のお知らせ/労働科学研究所エグゼクティブセミナー「今! 組織の安全性を考える」開催/維持会特別月例研究会「職場のメンタルヘルス −予防的対応−」開催/ワークサイエンスニュース

・本文中で紹介されたWebページへのリンク

p.15(安井 至:市民のための環境コミュニケーション 〜化学物質のリスクをどのように伝えるか〜)

p.19(杉浦 伸夫:企業内でのリスクコミュニケーション 〜JSRの事例〜)

p.52(<学会レポート>毛利 一平:環境疫学にどっぷりと浸った4日間 〜私もバンクーバーで考えた〜)

<俯瞰(ふかん)>企業と社会との対話について思うこと
林 雄二郎
 企業市民(コーポレートシチズンシップ)という言葉をもち出すまでもなく,社会と無関係な企業などあるはずがない――。という観点から言うならば,PRTR法の発足,その流れの中でリスクコミュニケーションの活性化,そのいずれもがきわめて結構なことである。というよりもむしろそれは当然のことと言うべきではないかと思う。
 にもかかわらず,こういう正常な流れとともに,いささか腑に落ちない流れが現実の社会の中に根を張ろうとしていることを見逃すわけにはいかない。
 それは,地球温暖化を俎上に熱論が展開した京都会議の産物として生まれた排出権という言葉がその象徴であるが,この頃,地球環境問題の議論の中で,工業国の中ではしばしば耳にする言葉である。ここで,その詳細を述べる余裕はないが,集約的に述べると,工業国たとえば日本が,途上国たとえば東南アジアのどこかの国でCO2の排出を節減するための措置を実施したら,その分だけ,日本自身はCO2の排出をしてもいいというのである。つまり,そういう権利を保証されるというわけで,これを排出権というのだが,どうも私にはこの考え方そのものが腑に落ちないのである。
 確かに,地球環境という“ひとつの環境”という視点からすれば,トータルでのCO2排出量は変わらないわけで,だから問題ないじゃないかということなのだろうが,しかし,よく考えてみると,そもそも地球環境といっても,それは最初からのっぺらぼうな地球環境という名の<ただひとつ>の環境があるのではなく,私たち一人ひとりをめぐる日常的なミニ環境とでも言うべきものがたくさんあって,それが集まって,トータルとしての地球環境というものが成立していることは,改めて言うまでもない明々白々なことである。
 とすれば,そのどこかのミニ環境で,いかに好ましい環境が生まれても,その傍らで好ましからざる環境破壊が行われれば,そこでは確実に環境が汚染され,好ましからざる結果が生まれることは明らかである。その“犯人”がよそでどんなに良好な環境づくりに貢献したとしても,その同一犯人が,他のところで環境破壊をすれば結果として環境破壊は進むのであってそれを帳消しにはできない。排出権などという権利はどう考えても納得できないことだと思うのだが,この問題をどう考えているのだろうか。という疑問が私にはそもそもこの排出権という言葉が生まれた京都会議以来,ずっと脳裏を去らないのである。
 言ってみれば,これも企業市民としての常識ではないかと思うのだが,はたして本誌の読者諸氏はどうお考えになるだろうか。今回の特集「リスクコミュニケーションの実際」の延長線上の問題として,この問題もぜひ取り上げていただきたいと思うのだが,いかがなものであろうか。
(はやし・ゆうじろう=社団法人日本フィランソロピー協会・会長)

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(2003.1.1〜)