旧理事長あいさつ(林雄二郎)
最近私の脳裡にしきりに去来 致しますことがあります。それは、裏返しにして見た歴史とでも申しましょうか。歴史学というのは古いところから段々新しいところに流れてゆくものですが、 その反対に現在を出発点として、すなわち現在、私たちのまわりで起こっているさまざまの出来事、それがどのような因果関係の結果としてそうなってきたの か。つまり因果関係ではなくて、果因関係とでも申しましょうか。そして、その現代の結果をもたらしたさまざまの原因が、更にそれはどのようなことの結果と して、そうなったのか、すなわち、果因の関係を次々とさかのぼって見てゆくということです。私は若い時からそういう思いが常に心の片隅にありましたが、私 も四捨五入致しますと、かれこれ一世紀近く現世での実体験を重ねて参りますと、昔は見えなかったことがいろいろ見えてくるものがあるのです。最近、しきり にそれを感じます。その結果、少し大げさに言いますと、生物、無生物を問わず、宇宙の森羅万象、一切合財すべて因果の糸でつながっているという実感が年を 重ねる毎に強くなってくるのでございます。このことはいみじくももう二十年以上昔のことになりますが、西ドイツのボンで開かれた第一回日独情報シンポジウ ムで中村元先生の基調講演「仏教における縁の思想」で中村先生が話されたことと相通ずるものでもありました。
そして同時にこのことは、労働科学研究所が最重点課題として続けてきた、「安全」の問題と何か重なるものがあるように思われてならないのです。そ れは日本がこれから今まさに迎えようとしている社会において一番基本的で、しかも一番重要な課題がこの安全ということだからなのです。何故ならば、今、日 本は工業社会の仕上げの段階である工業社会の成熟期をまさに迎えようとしているからです。現代の工業社会の前の社会である農業社会の場合も同じことがいえ るのですが、まず成長段階を経て、次に成熟段階を迎える、この二つがワンセットになって農業社会を仕上げるのですが、日本は少なくともヨーロッパよりもは るかに美事にこれを仕上げ、工業社会を迎えました。この成長段階と成熟段階を見きわめるものさしとして私はエネルギーとエントロピーとの二つを考えます。 成長段階の社会はエネルギーが増大、エントロピーが減少します。そして成熟段階に入ると、この関係が逆転します。日本はこれを実に巧みに美事にほとんど何 の摩擦も伴わずに経験しました。そして成熟段階において、その社会にふさわしい文化をつくりあげます。因みに現在日本文化といわれている文化は典型的な農 業文化です。そして工業社会にテイクオフしたのが明治以降です。成長段階を約百年経験し、そして現在、成熟段階を迎えようとしています。ここで工業文化を 生み出せるかが問題です。因みに成長段階でつくり出したのは美事な工業文明だったことは間違いありませんが、工業文化はこれからです。
ところで、成熟段階の社会は前述したようにエネルギー減少、エントロピー増大の時期ですが、こういう状態の社会は傾向的にルーズな社会とでもいい ましょうか、これがそのまま進んでいったら、滅亡の危険性をはらんでいます。最近の世相がそれを象徴していませんか。安全が重要な鍵だと言ったゆえんで す。そういう危険性をはらみながら、それを乗り越えて脱工業社会を迎えねばならないし、また過去の経験から見て日本はそれが充分に可能だと私は思っていま す。何れこのようなことについて皆さん方とじっくり話し合いたいと思っています。
平成15年10月 林 雄二郎















