歴史

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  (財)労働科学研究所のルーツは、大原社会問題研究所(大原社研)にある。大原社研は、1919年2月に倉敷紡績社長・大原孫三郎氏により設立(正式開所は1920年7月)され、労働科学研究所の初代所長暉峻義等は、その一員として医学的労働研究部門を担当していた。その後、暉峻は大原の依頼により倉敷紡績万寿工場内に新しく専門研究所を創設し、生理学、心理学、医学、衛生学等の方法によって労働に関する基礎的な研究を行うことになった。これが大原社研から独立した倉敷労働科学研究所で1921年7月1日のことである。

 当時の紡績工場で働く女性労働者の労働条件、労働環境は大原孫三郎の工場であっても、なお劣悪であり、長時間・深夜労働、粉じんや高熱、高湿の作業環境といった悪条件のもとで、心身の消耗、ひいては結核等によって女性労働者が死亡する「女工哀史」の時代が続いていた。大原は、このような労働及び労働者の状態改善を科学的方法で実現しようとし、気鋭の医学者暉峻に研究所設立を依頼した。

 「労働科学」は、暉峻の命名になるが、医学と心理学を主要な方法とする労働及び生活に関する総合的研究の呼称として、J.Ioteykoの著書名"The Science of Labour and its Organization"に因んでつけられた。

 労働科学は、労働の生体負担を生理学・心理学を用いて心身機能評価によって捉えることを原点とし、さらに負担・疲労を引き起こす労働内容・労働組織及び労働環境の衛生学的研究、労働の結果として発生する災害・職業病の発生原因・経緯に関する心理学・病理学的研究、労働負担や疲労を軽減し、あるいは快適な労働・労働環境達成のための人間工学的研究、労働を取り巻く社会条件、賃金・労働時間等の労働条件及び生活状態に関する社会科学的研究等、時代の進展と研究の深化とともに領域を拡大していった。 諸関連科学の方法を駆使した労研の調査・研究方法の主たる特徴は、①現場における労働者個人のデータ収集を基本とする調査研究、②複数分野の研究者による学際的研究、③問題解決を目指す実践的・具体的研究の三点にまとめられる。これらは発足時から今日に至るまで続く労研の誇るべき伝統といえる。

 労研は、当初「倉敷労働科学研究所」として倉敷紡績の経営下にあったが、1936年には大原及び倉敷紡績の庇護を離れて独立することとなり、1937年1 月に(財)日本労働科学研究所となった。戦後、名称が変化あるいは財産が一時接収されるという状態の時期もあったが、1953年から正常な姿に戻り、今日に至っている。

 民間の研究機関が財政的に自立してゆくことは大変なことであり、研究所首脳部にとっては常に頭痛の種であった。このような中で大きく支えてくれたのは、国、産業界、労働界を中心とした各界であった。このことは、反面「労働科学」に対する社会的ニーズの大きさを示すものでもあった。1951年から、つい最近に至るまで文部科学省(旧・文部省)から毎年多額の国庫補助金の交付を受けてきた。また、1951年に賛助会方式の「維持会」が組織され、今日に至るまで民間企業、自治体、大学、病院、労働組合、その他諸団体、及び個人からの会費に大いに助けられている。この他、官公庁、民間企業、労働組合等からの受託調査研究の依頼を受けている。これは、研究調査事業を財政的に支える重要な柱であると同時に労働科学研究に新しい分野の課題を提供してくれているものである。

 創立75周年を記念して、1996年からILOが編纂をした「産業安全保健エンサイクロペディア」第4版の日本語版全4巻の編集・刊行事業を開始し、 2004年に完了した。2006年には創立85周年を迎え、記念事業として25回に亘る連続セミナーを開催するとともに、重点研究の成果を取り纏めた提案書の刊行に取り組んでいる。
現在、創立90周年到達を目前にして、21世紀初頭のわが国において求められているものづくりと人づくりの労働と産業の発展に対して、社会的役割を果たすため、「働きがいのある仕事と職場づくりのための問題解決策を示す研究」に邁進している。