財団法人労働科学研究所ホームページ情報サービスセンター・図書館藤本文庫
更新: 2003年7月9日

労働科学研究所図書館所蔵
<藤本文庫>

 藤本文庫は、労働科学研究所社会科学研究部の研究部長を永年勤められた経済学者・藤本武先生の蔵書で構成されております。蔵書数は優に7,000冊を超え、現在では入手不可能な資料も多く含まれております。これを世の中に公開していくことは、学術上大変意義深いことであると存じております。現在、蔵書の半分にあたる約3,500冊の整理を終えたところですが、残りにつきましては一ヶ月毎に追加していく予定です。


目次

 

 

藤本武先生について

[略 歴](「労働科学」第78巻4号収載)

1912年2月29日 京都府新舞鶴町で出生
1928年4月 第三高等学校文科丙類入学
1931年4月 東京帝国大学経済学部経済学科入学
1935年3月 同学科卒業
1935年4月 全国米穀販売購買組合連合会入社
1939年8月 同会退職
1939年9月 日本労働科学研究所入所
1941年9月 同所退職
1942年2月 龍烟鉄鉱労働科学研究所分室(宣化)勤務
1944年9月 龍烟鉄鉱労働科学研究所分室退職
1944年12月 秋木機械製作所労研分室(能代)入社
1945年10月 秋木機械退職
1945年11月 労働科学研究所入所・経済学研究室主任
1959年12月 朝日訴訟原告側証人として東京地裁で証言
1962年2月 東京大学より経済学博士授与
1963年1月 日本学術会議第6期会員・第3部幹事
1963年4月 労研第4研究部長
1964年8月 総評労働安全調査団の1員として,ソ連・チェコスロヴァキア調査訪問
1965年4月 労研経済学研究部長
1965年9月 英,仏,独,スイスの4か国へ労働安全対策の調査のため出張
1966年1月 日本学術会議第7期会員・第3部副部長
1972年6月 社会政策学会代表幹事
1973年3月 労研社会科学研究部長
1977年3月 労研退職・嘱託研究員
1977年9月 日本女子大学社会福祉学科教授就任・労研客員所員
1981年3月 日本女子大学退職、以降執筆活動に専念
1986年11月 著書『国際比較 日本の労働条件』で第11回野呂栄太郎賞受賞
2002年6月9日 難治性肺炎のため逝去

[↑top

[主な著書](「労働科学」第78巻4号収載)

支那鉱夫の生活 大阪屋号書店 1943年
把頭炊事の研究 大阪屋号書店 1943年
賃金 東洋書館 1948年
労働者と労働基準法 労働教育協会 1948年
今日の賃金問題(共著) 労働文化社 1948年
最低賃銀基準論 労働文化社 1949年
賃金の話 林野共済会 1954年
最低生活費の研究(共著) 労働科学研究所 1954年
賃金・労働条件と労働基準法(共編著) 弘文堂 1957年
賃金と労働時間 ミネルヴァ書房 1959年
日本の生活水準(共著) 労働科学研究所 1960年
最低賃金制度の研究 日本評論新社 1961年
労働時間 岩波書店 1963年
労働災害 新日本出版社 1965年
日本の生活時間(共著) 労働科学研究所 1965年
各国の労働安全対策 労働科学研究所 1966年
賃金事典(共編著) 大月書店 1966年
最低賃金制 岩波書店 1967年
新版 労働災害 新日本出版社 1970年
現代の労働問題 日本評論社 1971年
ストライキ 新日本出版社 1971年
最近の生活時間と余暇(編著) 労働科学研究所 1974年
日本人のライフサイクル(編著) 労働科学研究所 1978年
現代の労働時間問題 東京都労働経済局1979年
日本の生活問題と社会福祉(編著)ドメス出版 1981年
組頭制度の研究 労働科学研究所 1984年
国際比較日本の労働条件 新日本出版社 1984年
資本主義と労働者階級 法律文化社 1985年
今日の労働時間問題 労働科学研究所 1987年
国際視角労働運動と労働立法 新日本出版社 1988年
国際比較日本の労働者 新日本出版社 1990年
世界からみた日本の賃金・労働時間 新日本出版社 1991年
ストライキの歴史と理論 新日本出版社 1994年
アメリカ資本主義貧困史 新日本出版社 1996年
アメリカ貧困史 新日本出版社 1998年
イギリス貧困史 新日本出版社 2000年

注)非市販の報告書、編集のみの書籍は除いた。

[↑top

藤本武博士と労研  鷲谷徹(労働科学研究所主任研究員・中央大学経済学部教授)
(「労働科学」第78巻4号収載)

 2002年6月9日,労働科学研究所客員所員(元社会科学研究部長),藤本武先生が難治性肺炎のため逝去された。享年90歳であった。1939年の労研入所以来,60年を超える研究生活をほぼ労研一筋に歩まれた先生は,労働問題,生活問題の広範な領域で巨大な業績を遺された。
 私は藤本先生が労研を定年退職されたあと,いわばその後任として労研に入所したので,直接,調査で御一緒したことはない。しかし,先生は退職後も客員所員として頻繁に労研に通い,文献研究や論文執筆をなさり,所内の研究会等に出席されていたので,日常的におつきあいさせていただきいろいろなお教えを乞うことができた。この分野の頂点を極めた大先生であるにもかかわらず,若輩者の稚拙な質問に丁寧に答えてくださり,温和だがまことに芯の強いお人柄は多くの後輩連を引きつけて止まなかった。
 お亡くなりになって1カ月ほどたった7月7日,労研関係者を中心とする「実行委員会」の呼びかけで,東京の全労連会館を会場として「藤本武先生を偲ぶ会」が開催された。ご遺族,労研関係者の外,学界,労働運動・民主運動等,各界から80余名の参加者を得ることができた。私も実行委員の一人として藤本先生の業績等を整理する役目を仰せつかったので,以下に先生の略歴,業績等を紹介しておきたい。

 藤本武先生は1912年2月29日京都府舞鶴生まれ,すなわち閏年の2月29日生まれなので,ひとの4分の1しか年を取らないといってよく笑っておられた。府立舞鶴中学校4年修了で第三高等学校入学の秀才であった。三高時代にすでにマルクス経済学に目覚めていた先生は1931年,東京帝大経済学部に進学し,大内兵衛ゼミに所属,大学3年のときにいわゆる「東大」滝川事件が起き,そのリーダーの一人であった藤本先生は検挙され大学からは1年間の停学処分を受ける。1935年に東大卒業後,全国米穀販売購買組合連合会(全販連)に就職,1939年9月には労働科学研究所に入所,いよいよ,経済学者として労働問題調査研究に着手することになる。しかし,労研入所後まもなく「唯物論研究会」事件で検挙され,9カ月間勾留されることになるなど,多くの試練に立ち向かわなければならなかった。労研が産業報国会に吸収されたとき,検挙歴のある先生は労研本体からは退職せざるを得なくなり,当時の労研所長暉峻義等のはからいで中国の現河北省にある龍烟鉄鉱山内の労研の「分室」に赴任,そこで,中国人鉱夫の労働と生活の調査に取りかかる。龍烟の分室では明・清の時代から存続する把頭制度とよばれる労働請負制度に関する調査研究と,その制度の下で働く中国人鉱夫およびその家族の生活実態の調査研究を行い,それらの研究をもとに,1943年には『支那鉱夫の生活』,『把頭炊事の研究』の2冊の著書を相次いで公にされた。この2冊の著書を皮切りに,20世紀最後の年である2000年9月に88歳で最後の著書である『イギリス貧困史』(新日本出版社刊)を発表されるまで,生涯に合計42冊の著書(編書,共著を含み非市販の報告書を含まない)を公にされた。
 戦時中の厳しい研究・生活条件を乗り越え,終戦直後に労研に復帰された先生は,戦後日本の民主化の動きの中で,水を得た魚のように,旺盛な調査研究を展開され,画期的な著作を次々と発表される。労働者の生計費の研究,賃金の理論と政策の研究,そしてそれらの延長線上に最低生活費の研究と最低賃金制度の研究が花開く。藤本最低生活費研究は1954年の『最低生活費の研究』(労研刊,後に改編されて『日本の生活水準』(1960年,労研刊))に集約されるが,全く独自の方法で科学的な最低生活費水準の測定にはじめて成功したこの業績は一方で労働組合の生活賃金要求の基礎となり,また,一方では憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の実態的根拠を明らかにすることを通じて生活保護水準の引き上げに資することとなり,日本の社会保障水準の引き上げに貢献するところとなった。とりわけ,それは「人間裁判」として知られる朝日訴訟の原告一審勝訴の大きな力となったことでよく知られている。
 また,最低賃金制度の研究は1961年に『最低賃金制度の研究』(日本評論新社刊)として著書(東大経済学部の博士号授与論文)にまとめられているが,それは60年代の総評の最賃制闘争を理論的に支え,その後の日本の最低賃金制度の改善に資するところとなった。
 藤本先生の研究領域はきわめて広いものであった。もちろん,それは藤本先生の能力の高さと関心の広さによるものであるが,それとともに,所属していた労研の事情にもよっていた。すなわち,戦前1921年に当時の倉敷紡績の社長大原孫三郎によって創設され,その後大原の手を離れ純粋に独立した在野の研究機関として活動している労研は,委託研究を主要な収入源とせざるを得ず,それは創立後81年を経た今日でも変わらない。委託研究のニーズは時代とともに変化し,様々な縁のありようによって変化する。委託研究のテーマは労働と無関係の場合もあり得るのである。藤本先生は早い時期から経済学部門あるいは社会科学部門の責任者となり,部門および労研全体の財政収入に一定の寄与をしなければならず,委託研究テーマを「選ぶ」ことは一貫して困難であった。実際,藤本先生の執筆稿のかなりの部分を占めているのは「米穀の消費動向」に関する調査研究であり,これは専ら農林省(現農水省)の委託研究のニーズに応えなければならなかったからである。しかし,そうした一見本来の研究テーマとは無関係に見えるテーマからも,何らかの有意義な知見を見いだし,研究の幹を太くしていくところに先生のすごさがあったともいえる。

 紙幅の関係から先生の業績の全てを紹介し尽くすことはとてもできない。以下に五分野に分けて私なりに整理して紹介してみよう。

 (1)賃金・労働条件研究
 賃金研究分野では前述のごとく,最低賃金制研究を含め,賃金水準論,賃金体系論・形態論等制度論,運動論等々,生計費研究と結びつけながら膨大な業績をあげられた。また,賃金とともに先生の重要な研究分野は労働時間問題であった。後述の生活時間研究と関連づけながら,日本の長時間労働を告発し続け,労働時間短縮の意義を早い時期から主張されていた。
 なお,先生は堪能な語学能力を活かし,若いころから外国の様々なジャンルの文献に通じており,日本の賃金・労働条件の水準を国際比較によって明らかにすることを重要な仕事の領域とされてきた。1986年の第11回野呂栄太郎賞を受賞した『国際比較 日本の労働条件』(新日本出版社,1984年刊)はその一つの画期をなす作品である。
 こうした賃金・労働条件研究の中で,先生は一貫して賃金・労働条件改善の主体としての労働組合運動の役割に言及されてきた。労働運動論分野の最初のまとまった著作として『ストライキ』(新日本出版社,1971年)があげられる。

 (2)労働者生活研究
 生計費研究についてはすでに一端を紹介したが,もう一つの重要な生活研究のテーマは生活時間研究であった。戦後直後から様々な生活時間調査を展開しつつ,独自の方法論を開発された。その一つの頂点が生活時間分類における労研方式あるいは藤本方式とよばれる分類方法である。生活時間を収入生活時間と消費生活時間に大きく区分し,消費生活時間を生理的生活時間,家事的生活時間,社会的文化的生活時間の3つに区分するこの方法は多くの研究者,機関の採り入れるところであって,今日でも最も有力な方法として使われている。この業績は『日本の生活時間』(労研,1965年刊)にまとめられている。
 また,やはり前述の「米穀の消費動向」調査は,広く労働者・国民の食料消費を通じた生活実態研究として展開され,膨大な論文が執筆されている。

 (3)労働災害・労働安全衛生研究
 労研はもともと労働生理学,心理学,医学中心の研究機関として出発し,その後社会科学分野を充実させてきたのであるが,その研究方法の特徴は諸分野が一体となって学際的な研究を行うところにある。先に紹介した最低生活費研究もその一つの典型例であり,最低生活の水準を実際に労働者家族の健康状態,栄養状態,心理的状態の把握によって明らかにすることができたのである。労研の主要なテーマの一つは労働災害・職業病の防止と対策立案にあり,藤本先生もこの分野で国内の実態を明らかにされるとともに,諸外国の経験を調査・研究され,国際比較の方法によって,多くの論文を書かれた。その集大成の一つが『各国の労働安全対策』(労研,1966年)であり,先生の業績は60年代に総評を中心に進められつつあった労働組合の労働安全衛生・職業病対策の運動に大きな影響を与えることとなった。

 (4)各階層の労働者状態研究
 藤本先生が労研で最初に取り組まれた課題は「婦人労働」の研究であり,先生の処女作は1940年に労研が出版した『婦人労働に関する文献抄録(邦文の部)』(分担執筆)であった。その後,労研への委託研究課題の広がりをも反映しつつ,「少年労働」,「高齢者労働」等各属性別の労働問題に次々と取り組まれ,中小企業の労働問題,さらには産業別,職業別,地域別といった視角から様々な労働問題に取り組まれた。

 (5)貧困史研究
 先生は1939年に入所以来40年近い研究生活を労研一筋に歩まれたが,1977年に定年退職後,日本女子大学に教授として迎えられ,1981年までその任にあった。女子大では貧困論を担当され,そのことがきっかけとなって一連の各国貧困史研究を進められるようになった。貧困史研究の最初の大きな著作は『資本主義と労働者階級−イギリスにおける貧乏小史』(法律文化社,1985年刊)であり,最後の単著である前述の『イギリス貧困史』の基礎となっている。先生はさらにアメリカ貧困史に取り組まれ,1996年,84歳で『アメリカ資本主義貧困史』(新日本出版社)という771頁の大作を発表され関係者を驚嘆させた。実は先生はその後さらにフランス貧困史に取り組まれ,新世紀を迎えてなおその完成に心血を注いでおられたのであるがご病気のためそれはかなわなかった。

 我々は先生の著作そのものから多くを学ぶことはもちろん,その学問研究の姿勢からも多くのものを学ぶことができる。先生はなによりも調査マンであり,自らの足で現場に入り働く人々の話を聞き,実際に労働と生活の様子を観察することを常に重んじた。事実に基づかない空理空論を厳しく戒められたのである。そして,常に働くものの立場に立って研究の目的と意義を明らかにしつつ取り組まれたのである。
 先生は学界活動でも活躍された。1960年代には日本学術会議の会員を2期6年間努められ,その間に専門を活かして学術会議としての学者・研究者の待遇改善のための調査研究に携わられた。また,日本の社会科学系の最古の学会の一つである社会政策学会の代表幹事を1972年から2年間務められた。社会政策学会の長い歴史の中で,大学教員以外で代表幹事に就任したのは後にも先にも藤本先生のみであろう。さらに,先生は労働運動,平和・民主運動にも関わりをもたれ,多くの役職にも就かれた。
 藤本先生は生涯で700本を超える著書・論文を発表された。現在,私は藤本先生の業績の全てをデータベース化すべく作業中であり,完成の暁には何らかの形で公にしたいと考えている。既に述べたように,先生の業績はあとに続く我々研究者にとって,そして働く人々全てにとって大きな財産である。その中に後進が進むべき道を示して先生は逝かれたのである。先生 安らかにお眠りください。

[↑top

 

[藤本文庫所蔵リスト](逐次入力中)
(現在のところ、日本十進分類法(NDC)番号順に並べてあります。)


財団法人労働科学研究所ホームページ情報サービスセンター・図書館藤本文庫