更新: 2009年3月4日
アジアにおける労働安全衛生活動の取り組み
日本産業衛生学会労働衛生国際協力研究会の活動
日本産業衛生学会労働衛生国際協力研究会 吉川徹(事務局)、小木和孝(世話人代表)
4.労働衛生国際協力研究会による成果やツール、利用できる資料など
1.労働者の健康をめぐる国際的な状況
日本の世界経済における役割が大きくなるにしたがって、他の国々からの日本に対する様々な国際的活動への期待は他面に広がっています1,2,3,4,6)。2008年7月に北海道洞爺湖で行われた先進8カ国会議では、日本はアフリカを中心とした開発援助の強化を提唱しました 。サミットで取り上げられる開発大臣担当分野では、主に、開発のためのパートナーシップの拡大、気候変動と開発の課題、人間の安全保障とミレニアム開発目標(MDGs)の達成などが取り上げられ、これからの国際協同の方向性を示しています。そこでは、安全・安心な国際社会の維持と発展のため、グローバル化する経済社会の中で働く人々の健康・安全を支援する労働安全衛生(産業安全保健)活動の役割はこれまでになく大きく、またその視野は広がっているといえます 。労働安全衛生分野における国際労働基準や標準化の動き、企業における社会的責任の一環としての労働安全衛生、国連が最重要課題として進めている貧困削減との連携、今後ますます広がる移民労働者(外国人労働者)の労働安全衛生等、今後のわが国の労働衛生分野における国際技術協力は、幅広い国際的な動きを視野に入れて実施される必要がある時期にきています。
図1にはアジア諸国における労働衛生が直面している課題の例を示しました2)。産業開発が急速に進み、職場には旧来の原材料や労働態様に加えて新しいそれらが続々と導入されていますが、安全衛生面が不十分で、そこから問題が生ずるという共通構図があります。図1にはこれらの問題の現れ方に関して、特に重要と考えられる4点を@からCにまとめてみました2)。それぞれの典型例を挙げると、@は各国の災害統計は十分ではありませんが、多くの開発途上国では年間の労働災害による志死亡者は10万人年あたり20名以上で、日本の3.2名人/10万人年に比べ非常に高率です(ILO2008年データによる)。Aでは韓国における1988年のレーヨン工場でのCS2中毒集団発生発見と1995年の電子機器製造工場での2-ブロモプロパン中毒発見などが特徴的です。前者は日本では1920年代のことで、後者は世界初の発見で、産業中毒は過去のものになっていないことが明らかとなり、世界を震撼させました。Bでは、履物製造業での有機溶剤中毒などです。カンボジアやラオスの家内工業jなどでは現在も重篤な有機溶剤中毒は発生しています。Cでは、前記の2-ブロモプロパンが日本製であったこと、近年マレーシアで労働負担軽減策が論議を呼んだ座業の立業化が、国際競争に生き残るために企業が存続をかけて採った措置の一つであったこと等があります。
こうした中で、わが国の労働安全衛生国際技術協力への期待は今まで以上に増しています1)。これまでに、JICAおよび産業界、学界さまざまな機関を通して技術協力は盛んに実施されて成果をあげてきました。わが国の労働の現場における実践的な労働安全衛生活動の蓄積、それを支えるさまざまなテクノロジーと研究能力、また、変化するニーズに呼応して次々と実施されてきた国による労働安全衛生政策づくりとその実施は、今後労働安全衛生問題の解決に力を入れる必要がある発展途上国にとって有用な資源です。さらにわが国には、労働組合、経営者団体、あるいはNGOによる多くの優れた労働安全衛生活動の蓄積がありこれらも発展途上国の労働安全衛生向上を支援するための有用な経験です。
また、労働安全衛生活動が貧困削減に役立つ点や草の根の現場のエンパワーメントに役立つ点も経験されています3)。労働衛生分野における協力の視野も拡大しています。わが国では労働衛生活動というと、大企業における産業保健専門職による活動がまず注目されますが、発展途上国の現場では、多くの労働者は、中小企業・インフォーマルセクタ職場(家内工業、自営業等)あるいは農業をはじめとする第1次産業に従事しています。これらの職場にも経済・社会の発達とグローバル化の進展によってさまざまな健康リスクが持ち込まれていて、今後の労働衛生国際協力における主要な課題と位置づける必要があります。また、2003年にアジアを中心に大流行し多数の死者をだしたSARSは、一次予防の重要性が産業保健の課題そのものに直結することを明らかにしました。旅行医学の充実、海外事業展開と海外派遣労働者の増加、中国の工業化に伴った様々な安全、健康、環境の問題などは多面に人々の経済活動の発展とともに取り上げてられているといえます6)。
国際協力に取り組む政労使の実務者、アジアなど開発途上国に進出している企業の担当者、アジアと密な交流を持ちながら研究活動を続けてい研究者らは、日本産業衛生学会労働衛生国際協力研究会を通じてこれらの課題に取り組んできました。以下には、労働衛生国際協力研究会の成り立ちとこれまでの活動のレビューを紹介し、今後の研究会活動の視座について整理します。
本研究会は、平成6年(1994年)1月29日に松田晋哉(産業医科大学)、城内博(産業医学総合研究所(当時))、川上剛(労働科学研究所(当時))の3名からなる有志で労働衛生国際協力研究会の世話人会が発足し、同年3月第67回日本産業衛生学会の場において、発展途上国の労働者の健康改善とそのために有用な研究・技術協力に関心のある有志が自由集会を開催したのが発端である。
産業衛生学会の既存の研究会が特定の技術分野の課題をめぐって設立されてきたのに対し、労働衛生国際協力研究会は産業保健の異なる専門分野をもつ研究者が、発展途上国への成果のあがる技術協力はどうあるべきかという、いわば横糸を通して共同作業を開始したところにユニークな特色がある3)。
岡山における自由集会では発展途上国との国際協力にいろいろな形で関わってきた学会員が話題提供を行い、引き続いて討論が行われたが、これまでの我が国の産業保健における国際協力が個別の専門家の善意や努力の割に全体としてかならずしも十分な成果が上がらないのはなぜか、今後さらにどのような新しいアプローチが必要かということについて真剣な議論が行われた。
こうした積み重ねをもとに、労働衛生国際協力研究会は平成8年度に日本産業衛生学会の正式の研究会として登録された。20番目の研究会である。その設立趣意書には、この研究会の目的が次のように書かれている。
「近年産業活動の国際化が進み、多くの発展途上国が急速な工業化に直面している。これらの諸国においては、働く人々の健康と安全を保持増進し、健全な産業活動の育成を行うことが急務となっている。我が国は日本産業衛生学会の伝統を長年にわたって労働衛生・産業医学の研究および改善活動をつづけており、その経験を産業界の急速な発展途上にある国々と共有し、現場の安全衛生の改善に役立つ、国際的な視野に立った労働衛生・産業医学の研究を発展させるべき時期にある。このための学術活動の推進および日本産業衛生学会会員間の経験交流に資するために、労働衛生国際協力研究会を設立する。」
労働衛生国際協力研究会は、毎年開催される産業衛生学会の自由集会で重要なトピックをとりあげている。また、秋に開催される研究会では、各地域や開催団体と協力しながら、各種話題をとりあげて進めている。表1には年表を示した。以下、ここ数年の主な成果を報告する。
平成12年度
第73回日本産業衛生学会において「アジアにおける労働衛生国際協力を考える」をテーマに自由集会を開催した。また「アジアに見る産業保健マネジメントの新しい動き」と題して小木和孝世話人代表より特別報告が行なわれた。研究会展示ブース企画にも参加し、研究会会員の個々の活動とともに研究会の設立趣旨・活動内容などの紹介を行い、好評であった。第2回研究会集会は8月に東京の日本労働研究機構 LINCホールにおいて「労働安全衛生の実践的アプローチ−アジアにおける多様な取り組みから−」、タイ、フィリピン、ヴェトナムなどで実績をあげている労働安全衛生活動の報告5題の発表が行なわれ活発な討議がなされた。第3回研究会集会は12月に中央労働災害防止協会調査分析センターにおいて開催し、ヴェトナム、中国の作業環境改善などに関する一般演題5題のほか、特別講演としてILOアジア太平洋総局の川上剛氏「アジアにおけるワイズ方式安全衛生トレーニングの最近の進展−ILOの経験から―」、中央労働災害防止協会、常任理事の五十嵐晃一氏「中災防における国際協力」の発表が行われた。
平成13年度
第74回日本産業衛生学会において、産業保健情報システム研究会との合同企画シンポジウムとして「グローバルな産業保健専門職像と教育」を開催した。川上剛氏(ILO)、加藤隆康氏(トヨタ自動車)、金琅昊氏(韓国:蔚山大学医学部)、河野啓子氏(東海大学)、八幡勝也氏(産業医大)ら多彩なシンポジストを迎え、グローバル化の中における産業保健専門職のあり方に関して集中討議を行なった。自由集会ではシンポジウムの内容も受け、松田晋哉氏(産医大)より、「産業保健教育の国際協力−INを用いた双方向性の生涯教育システムの紹介−」を持ち、情報化時代における産業保健教育と今後の国際協力の方向性につき討議を行なった。第2回研究集会は平成13年11月に国際安全衛生センターおいて「健康サーベイランスの実践的進め方」をテーマとし開催した。毛利一平氏(産医研)、川上剛氏(ILO)等の演題を踏まえ、職業疾病情報に関する国際動向の意見交換をすすめた。また、本年度下半期から、「産業発展に関連した女性労働安全衛生指針開発のための研究協力プロジェクト」を関係機関の協力を得て開始し、アジア各国との共同研究作業を進めていく事とした。
平成14年度
昨年に引き続き「産業発展に関連した女性労働安全衛生指針開発のための研究協力プロジェクト」に取り組み、第75回日本産業衛生学会においてその一部としてアジア地域フォーラム(テーマ:アジア地域における産業発展と女性労働者の健康)を開催した。城内博・井谷徹世話人の司会で、アグス・サリム氏 (マレーシア)、ニパナン・ケオラ 氏 (ラオス)、タムセ 氏 (フィリピン)、サリアノ 氏 (フィリピン)、タナカ 千恵子 氏 (産医大)、金琅昊氏(韓国)らのアジア各国研究者を迎え集中討議を行なった。アジア5ヶ国(マレーシア(3名)、ラオス(1)、フィリッピン(2)、韓国(2)、日本(27))からのべ40名以上が参加し盛況であった。9月には前回までの討議結果を受け、集中討議合宿を開催し、ガイドライン作成の草案つくりを行った。第2回研究会集会は平成14年12月に国立オリンピック記念青少年総合センターにおいて開催された。久永直見氏(産医研)「マレーシアの労働衛生事情と日本の役割」、山本美江子氏(産医大)「スウェーデンにおける介護労働の現状」の2演題について討議し、ガイドラインをめぐって、ワークショップ「女性労働に関する労働安全衛生活動指針作り」を行った。今後も、関係機関の協力を得て開始し、アジア各国との共同研究作業を進めていく予定とした。
平成15年度
第76回産衛学会で第2回アジア地域フォーラム(テーマ:働く女性にとって健康な職場の条件 ―どこに力点をおいて支援するか)を開催し、1)タイのNGOであるホームネットのRakawin Leechanavanichpan氏からタイの家内労働者の健康支援を参加型トレーニング方法を用いて進めている話題、2)就労女性健康研究会の荒木葉子氏からスウエーデンで開催された女性ワークショップの内容などを踏まえてジェンダー視点からみた日本女性労働者の労働安全衛生について話題提供を頂いた。その後、3)健康支援のための行動フレーズについて参加型の意見交換会を行い、女性労働者の安全と健康を組み入れた職場改善ガイドライン素案を集中討議した。第2回研究会は平成16年1月に労働科学研究所で開催した。ベトナムカント省保健局労働衛生環境センターのトン・タット・カイ氏から「ベトナムの中小企業における安全衛生マネジメントシステムの現状とILO-OSH 2001の適用状況」の話題提供を受け、近年アジアで急速に普及している安全保健自主マネジメントの動きについて討議した。また、第77回産衛学会のシンポジウムの企画草案つくりや、産医研の毛利氏を中心にした労働衛生国際協力に関わる人材データベースつくりを進めるなど、研究会会員のネットワークを活用した国内外の取り組みもすすめた。
平成16年度
第77回産衛学会(名古屋)のシンポジウムへの企画協力を行い、「アジアにおける産業保健活動」について横山和仁氏(三重医)、城内博(日本大)氏の司会のもと、「アジア諸国の労働衛生対策と日本の国際協力の進歩」(久永直見、産医研・吉川徹、労研)、「ASEAN諸国における労働衛生対策の到達点」(チャラムチャイ・チャキットポーン氏、タイ)、「韓国での産業保健サービスの現状と課題」(朴正鮮氏、韓国)、「国際機関によるアジア地域の産業保健活動支援」(川上剛、ILOタイ)の報告と、指定発言として「アジアにおける産業保健の地域ネットワークの構築」(毛利一平、産医研)、「アジア地域のOSH−MSと自主マネジメントの進展」(小木和孝、労研)を持った。会場からの活発な発言も得られ昨今のアジアにおける産業保健の潮流を確認するシンポジウムとなった。また、自由集会では約30名の参加者を得て、「職業病の過少報告をどう克服するか?」をテーマに日本を含むアジア地域の作業関連疾病と職業病の統計データに関する意見交換が行われた。秋の研究会は「欧・日労働環境の問題点と予防方策」公開ワークショップ実行委員会に協力する形で11月17日に東京で行われ、欧州・日本の職業病統計や過少報告に関して社会学者と産業医学の研究視点の双方から議論が行われた。仏のアニ・デボモニ氏(フランス国立健康医学研究所)、ポール・ジョバン氏(パリ第7大学)、毛利一平氏(産医研)、吉川徹氏(労研)らから話題提供があり、日仏に共通して変化している労働環境とその健康影響と対策について活発な討議が行われた。
平成17年度
第78回日本産業衛生学会(東京)で、山本秀樹氏(岡山大学)を演者に迎え「国際保健医療協力における人材育成について―労働衛生分野での諸課題」として、自由集会を開催した。山本氏らは「わが国の国際協力を担う国内の人材育成及び供給強化並びにキャリアパス拡充のために医学教育が果たすべき役割の研究」を通じて、労働衛生分野における人材育成の諸問題について指摘し、本学会・労働衛生国際協力研究会が取り組むべき課題を提案した。10月には第15回日本産業衛生学会産業医・産業看護全国協議会(広島)にあわせて同会場で秋の集会を開催し、仲尾 豊樹氏(NPO法人 東京労働安全衛生センター)から「作業改善ネットワークWebサイトについて」が報告された。また、平成14年度より継続している「女性労働ガイドライン経過報告と内容の討議」が行われ、その討議結果をうけて2006年3月に船橋のセミナーハウスで会員によるガイドライン作成のための集中討議合宿が行われ、英文による草案が完成した。なお、平成17年11月に職業性呼吸器疾患研究会と合同で、アジア地域のじん肺診断技術向上に資するため、福井大学医学部・日下氏らを中心としたアジア塵肺X線トレーニング講座事業(案)を理事会に提案した。本事業のための国際ワークショップが12月に福井にて開催され、研究会からも参加した。
平成18年度
は第79回産衛学会(仙台)で研究会シンポジウム「アジアに普及するグッドプラクティスアプローチと進出企業」を開催した。久永世話人と毛利世話人の司会のもと、城憲秀氏(中部大学)から「タイにおける自主対応型運動器疾患予防活動に関する国際規格を利用した取り組み」、岩田全充氏(トヨタ自動車)から「海外事業体の安全衛生レベル向上にむけた考え方」、仲尾豊樹氏(東京労働安全衛生センター)から「経済成長期のベトナムにおける地元企業の環境安全保健マネジメントのグッドプラクティス」が報告され、グローバル化の中での新しい産業保健活動の視座について集中討議が行われた。秋の研究会は平成19年1月13日に「外国からの移住・出稼ぎ労働者の労働と健康」をテーマとして名古屋市立大学で40名以上の参加者を迎え行われた。久永直見氏(愛知教育大)「日本・韓国・マレーシア・フィリピンで起きていること」、杉浦裕氏(名古屋労災職業病研究会)「東海地区における移住労働者の健康と安全の課題」、丹羽さゆり氏(名古屋市立大学大学)「外国人雇用企業における労働者の就労状況と健康状態について」の3演題に引き続き、参加者によるグループ討議が行われ、取り組むべき課題が整理された。また、前年度に引き続いて「女性労働者の労働衛生ガイドライン」案を集約し、冊子にまとめて配布した。研究会員およびアジア諸国の協力研究者の意見を求め、最終案にまとめた。
4.労働衛生国際協力研究会による成果やツール、利用できる資料など
これまでの取り組みの中で、いくつかの成果物などを公表している。以下は就労女性健康研究会と合同で開発した「女性労働者のための職場環境つくりチェックリスト」です(図1)。改定を重ね、日本医事新報などで公表をしています5)。また、自由集会では冊子配布を行って、各職場でその展開が図られています。
現在までの研究会活動のなかで、アジア各国との間で相互に学びあう視点を持つことの重要性が議論されてきました。アジアの多くの国で健康リスクの緊急課題は化学物質、快適環境、ストレスなど共通し、また保健マネジメントでわが国がむしろ見習わなければならない制度やアプローチをとりいれる国々も出てきているのも事実です。多国籍企業、中小企業や農村など、発展途上国における産業保健問題に取り組むことは、世界の最先端の議論に接し、また私たちの国自身の現状改善に目を向けることに共通します。国際協力とはそれぞれの国や地域における努力やその成果を互いに学びあう双方向の交流です。従来の枠を越えて、成功事例紹介にも力を入れ、各国と協力して21世紀の産業保健の新しい潮流を創造することが本研究会に求められているといえます。
参考文献
<連絡先:吉川 徹(よしかわ とおる)>
財団法人労働科学研究所国際協力センター 労働衛生国際協力研究会 事務局
TEL: 044-977-2659(直通)または044-977-2121(代表) FAX: 044-976-8659
E-mail address: t.yoshikawa@isl.or.jp Homepage: http://www.isl.or.jp/ICC/